伝統の味
昔から世代を超えて伝えられた伝統の郷土料理・銘菓


荒海の味 清流の味 山里の味 伝統の味 古代の味

箱ずし
 もともとは天領であった石見銀山の代官の奥方が、江戸の味を懐かしんで作ったのが始まりといわれ、温泉津町では祭りなどのもてなし料理として作られている。素朴な風味が口の中に広がる。 固く押してあるので持ち運びの便もよく保存がきくので、昔から祭りや盆の行事などに、土産用として作られてきた。
[大田市・温泉津町]

作り方
 
ゴボウ、ニンジン、しいたけ、かんぴょうを細かく刻んで、出し汁、砂糖、醤油で味をつける。すし箱の内側に酢を付けてごはんを1cm余りの厚さに広げ、その上一面に具を載せ、ご飯を広げ、金糸卵を載せて数段詰め重ね、重しをする。

源氏巻
 幕末の文久年間(1860年頃)に 津和野城主・亀井家の御用菓子として作られ、藩主夫人により源氏物語の若紫の巻の代表歌「手に摘みていつしかも見ん紫のねに通いける野辺の若草」から名づけられたという。その他由来には諸説あるが、百数十年にわたり津和野町を代表する銘菓として、全国にその名を知られている。 [津和野町]

名菓「源氏巻」と吉良上野介
 津和野藩は四万三千石の小藩ながら江戸時代に経済政策として製紙業を奨励し財政的にはかなり裕福であった。藩主亀井慈親(これちか・1869〜1732)は在職50年の間に実に14回も饗応役を命じられている。  
 浅野内匠頭刃傷より3年前の元禄11年(1698)3月、勅使饗応役を命じられた慈親は指南役であった吉良上野介の余りの仕打ちに堪えかね家老多胡外記(真蔭)に、吉良を殿中で刺し殺し自分も自殺するつもりだと打ち明けた。外記は「一旦決心なされたからには見事におやりなされ」と答え、吉良への付け届けが少ないことが分かると、金奉行太田六左衛門を呼び、三百両と別に百両を用意させ、三百両を奉書に包んで「源氏巻」と書いた。
 吉良邸に赴いた外記は用人の粕屋平馬に五十両を、門番・玄関番に迄、夫々金を握らせたのである。源氏巻に吉良は上機嫌で相好を崩し喜んだ。「てまえ主人は田舎育ち故、何かと吉良様に御無礼な言動があるかも知れませぬが、どうぞお怒り遊ばさず程よくおあしらいの程を」外記が言うと吉良は「わかっている。わかっている。その辺のことは馴れておるでの。心配いたすな」と笑って答えた。それとは知らず慈親は今日こそ吉良を刺し殺さんと勢いこんで登城したが昨日迄の吉良とは全然違う。にこにこ顔で優しく話かける。慈親はとうとう目的を果さず無事帰邸したのである。ほっとした外記はここではじめて昨夜からの穎末を報告し独断専行を侘びたが、慈親は咎めるどころか自分や藩を救ってくれた恩人だと礼をいう。吉良に賄賂を贈るときに用いた源氏巻は亀井藩の安泰を守ったのである。
今なお縁起のよい名菓「源氏巻」として城下町の名物の一つとなっている。

 千利休から茶人・古田織部正重能を経て、初代浜田城主・古田公家に伝わったものと言われている。素朴な薄茶色の蒸し饅頭で、黒砂糖を加え良く練り上げられた小豆あんが皮の水分を取って保存性を高めている。 [浜田市]