田中頼璋(らいしょう)画伯 1868(慶応2)〜1940(昭和15)
明治から昭和初期にかけて活躍した瑞穂町市木地区出身の日本画家。田中画伯は市木村(当時)で庄屋の二男として生まれ本名は大治郎。17歳で画家を志し、萩に出て四条円山派に属し、後に帝室技芸員になった森寛斎について画技をみがいた。32歳のとき上京し日本画の大家・川端玉章画伯に師事し、主に山水画を得意としトラを描いた傑作で知られる。文展が開催される以前から中央画壇で活躍し、明治40年川端学校の教授となり、同年文展が開始されると一躍旧派の代表画家として注目された。日展の前身である帝国美術院展覧会委員を務めるなど旧派の重鎮として活躍したが、関東大震災を機に広島に居を移し後進の育成に努めた。