橋本明治画伯 1904年(明治37年)〜1991年(平成3年)
1904年(明治37年)、浜田町大字浅井(現在の浜田市田町)に生まれる。1991年3月死去。
画伯は子どもの頃から絵を描くことに熱中し、すでに小学生のときには画家を志していたといいます。美術に関する情報も少ない当時の浜田で、橋本少年は一人通信教育で絵画の技法を学び、ピカソやマティスなど西洋美術の潮流にも触れていきます。そして19歳の時(島根県立浜田中学校在学中)には、妹をモデルに制作した作品が島根県展に入選し、画家への夢を、一歩、現実へと近づけていったのです。いわば明治画伯の画家としての原点は、ここ浜田にあるといえるでしょう。
橋本作品の魅力は、日本画の精神主義や伝統、形式に固執することなく、強い描線による明快な形体と鮮やかな色彩を融合させた独特の作風にあります。1940年に、36歳の若さで法隆寺壁画模写の主任に選ばれた画伯は、その後、1952年(48歳)に芸能選奨文部大臣賞、1955年(51歳)に日本芸術院賞を受賞。1974年(70歳)には文化勲章を授与され、日本を代表する画家として揺るぎない地位を確立しました。
浜田中を卒業後、一時広島で田中頼璋に師事。のち東京美術学校に入学。在学中の1929年(昭和4年)に「まり千代像」で第11回日本芸術院賞を受賞し、1971年には日本芸術院会員となり、1974年11月文化勲章を受章する。
(「演奏」)