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《石見産物史》
石見刀――中世の貴重な輸出品
石見地方は、出雲に優るとも劣らぬ良鋼の産地であり、特に出羽(現邑智郡瑞穂町)周辺を中心とした出羽鋼の名声は天下にあまねく知られ、相州鍛冶(鎌倉正宗一門)もこれを使ったといわれている。良鋼の産地であると共に、陰陽を結ぶ要衝であった出羽は、石見刀工発祥の地といわれている。この出羽から移住した刀工たちが、長浜鍛冶(浜田市)の濫觴 (らんしょう=起源) である。この長浜鍛冶の作刀が一躍有名になったのは、1404年に足利義満が始めた勘合貿易(明から勘合符なる手形を受けて行った対明貿易)によってである。なお、刀剣の輸出はすでに13世紀頃から始まっており、宋へ大量に輸出されていた。1444年頃には、石見・周布氏も朝鮮貿易を行っている。しかし、1549年を最後に勘合貿易も廃止され、やがて秀吉の刀狩りに至る時勢の流れの中で石見刀も衰微していった。 ●山中鹿之助が毛利と戦った石州大太刀
瀬戸内海の水軍発祥の地である大三島に 武の神である大山積大神を祭る日本総鎮守「大山祇神社」があり有力武将たちがことある毎に刀剣甲冑を奉納して武運を祈った。そこに三振りの大太刀があるその内の一振りが尼子十勇士の一人として知られる山中鹿之助幸盛が奉納したと社伝に伝わる石見刀「石州和貞」である。石州和貞は長さ5尺6寸強の信じ難いほどの大太刀で物打ちの部分に実戦に使われたと思われるかなりの刃こぼれがある〔名刀奇談にっかり/東郷隆著/PHP研究所刊より〕。 もっとも姉川の戦い(元亀元年)のとき越前朝倉家の勇士真柄十郎左衛門が7尺8寸という桁外れの大太刀をふるって徳川の本営へ斬り込んだという話だからそう驚くほどのこともないのかもしれない (花神/司馬遼太郎著/新潮文庫) 郷土刀工史物語る逸品,国から返還 太平洋戦争の直後、連合国軍に接収され、東京国立博物館(東京・上野)が所蔵し「赤羽刀」と呼ばれた日本刀4,576本の所有権が、このほど地方分権の一環で自治体に返還された。これに伴い、中世から近世にかけて制作された「石州刀」など44本が島根県に里帰りした。島根県には、石州刀13本のほか、出雲の刀工が造った雲州刀8本、備前など別の国の刀工が出雲や石見で制作した刀など計44本を、県や安来、浜田、益田など5市7町村が管理することになり、郷土の刀工史を物語る逸品が数多く、地域の文化財として保存、活用される。島根県内では、中世から近世にかけて石見地方に優秀な刀工が集まり、作品を全国に流通させていた。今回、里帰りした中にも、石見を代表する名工「直綱」の銘が刻まれた刀などが含まれている。江戸時代末期、出雲地方の神社に供えるために造られた刃渡り1・3bの巨大な奉納刀など、刀剣の歴史を知る貴重な資料もある。 「赤羽刀」は昭和20年、GHQ(連合国軍総司令部が接収した全国の日本刀や軍刀のうち、美術価値があるため、保管した刀を指す。 保管した武器庫が、東京都北区赤羽にあったことから「赤羽刀」の通称が付いた。(2000.1.9) |