女  優

渡辺淳一著

 新劇女優・松井須磨子と抱月との"灼熱の恋"、"カチューシャの唄"で一世を風靡した島村抱月を描いた長編。昭和58年集英社刊、平成元年、新潮文庫(上・下)。

石見文学散歩目次

女 優
花 神/浜田騒動
閉じられた海図/
間宮林蔵
女 優 X
終 焉
イルティッシュ号の来た日
七人の吉右衛門/
四十七人の刺客
漁 灯/神威岬
ヰタ・セクスアリス/
私の森鴎外を求めて
津和野/脱 出
ふるさとの書林
石見文学散歩

 

日本一の女優に惚れられた石見男児


 島村抱月(1871−1918) 金城町久佐に生まれ、東京専門学校(現早大)を卒業、英独へ留学して西洋現代劇に感銘を受け、わが国の近代劇の発展に尽くした。早大教授。昨年(平成10年)没後80年を記念して、松江・出雲で抱月の生涯を描いた演劇「はつ恋」が上演された。
抱月の才能と須磨子への愛、須磨子の芝居への情熱と抱月の愛。病神に抱月を奪われた須磨子は二月後に自ら命を絶った。「誰であれ、生涯を燃焼し尽くした人に、わたしは心惹かれる」と著者は云っている


島村抱月


抱月は鑪(たたら)と共に幼年時代を過ごした

 抱月の故郷は石見有数の鑪地帯として知られた那賀郡金城町の小国であり、瀧太郎(抱月の幼名)は幼年時代を鑪と共に過ごした。豊平町(広島県)から移住した祖父佐々山一平、父一平ともに鑪支配人であったが、瀧太郎が物心ついた頃には鑪の時代は終わろうとしていた。
  瀧太郎が生れた明治4年頃に父は弥栄村の高源鑪を引き受けていたが、石見一帯を襲った浜田地震(明治5年2月、畳ヶ浦の誕生)により鑪が全壊するなどで莫大な負債を負った。そんな状況の中で瀧太郎は父に従い方々の鑪を転々としながら少年期を過ごした。
  やがて浜田に出て、住み込みの薬局店員、裁判所の給仕などしながら勉学に励んだ。裁判所の上司・島村に認められ、彼の援助により東京専門学校(現早稲田大学)に学び島村家の養子となる。



抱月公園の顕彰碑
(金城CC入口)