ヰタ・セクスアリス  

         森 鴎外著

「私の鴎外」を求めて

             尾崎健次著

石見文学散歩目次

女 優
花 神/浜田騒動
閉じられた海図/
間宮林蔵
女 優 X
終 焉
イルティッシュ号の来た日
七人の吉右衛門/
四十七人の刺客
漁 灯/神威岬
ヰタ・セクスアリス/
私の森鴎外を求めて
津和野/脱 出
ふるさとの書林
石見文学散歩

ヰタ・セクスアリス  森 鴎外著鴎外旧宅

  この作品は、人生の春の目覚めから中年に至る自己の性欲の発露の過程を回想したものであるが、時の政府から発禁処分を受けた。この小説が森林太郎の署名入りで発表されたのは1909(明治42)年で、今となっては発禁処分となった理由も通用しない世の中だが、著者の自伝的価値は永遠に失われないであろう。
  また、あまたある著作の中で唯一鴎外が郷里のことに触れた自伝的要素を含んだ小説として注目された。
(写真:鴎外旧宅)

 「六つの時であった。中国の或る小さなお大名の御城下にいた。廃藩置県になって、県庁が隣国(浜田県)に置かれることになったので、城下は俄かに寂しくなった。・・・・・お父様は藩の時徒士(かち)であったが、それでも土塀をめぐらした門構の家にだけは住んでおられた。(ヰタ・セクスアリスより抜粋」とかなり忠実に自分の生い立ちを再現している。
 

 石見人森林太郎トシテ死セント欲ス森鴎外記念館

 森鴎外(もりおうがい、1862〜1922) 軍医。帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)。小説家、評論家。翻訳家。本名林太郎。別号、観潮楼主人、千朶山房など。文久2年1月19日、現在の津和野町町田に生まれました。明治5年上京、14年東京大学医学部卒業後、軍医の道を進みます。明治17年から21年までドイツへ留学し、この西欧体験は鴎外の教養と見識を深め、「半日」「ヰタ・セクスアリス」「雁」「青年」等を発表し、小説家として漱石とともに明治文壇に確固たる地位を築きます。
  死に及んで「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言を残して、大正11年7月9日に永眠しました。享年60歳。 11歳のときに上京して以来、全く郷里を省みなかった鴎外が、何故このような遺言を残したのか不可解であるが、 この一言で郷里への感謝と負い目のつじつまを合わせたように私には思われる。

(写真:森鴎外記念館) 鴎外旧宅に隣接しており、98年に建設省の「公共建築100選」に石見で唯一選ばれた秀麗なデザイン。

西周(にしあまね)西周旧居

 西周は、わが国哲学界の先駆者であり、鴎外の母の従兄にあたり、やはり森家と同じく藩の典医の家柄であった。この度修復工事が完了し、2年半ぶりに公開された。
(写真:西周旧居・・・画像は以前のもの)

「私の鴎外」を求めて  尾崎健次著

おさきけんじ 大正15年島根県生れ。昭和22年、2年のシベリア抑留を経て復員。昭和61年、35年間の小学校教員生活に終止符を打つ。昭和42年森鴎外記念会会員となる。平成3年随筆・評論集「おもかげ」刊行。現在浜田市在住。本書は1995年近代文芸社より刊行。