われら50歳の「こども」たち
作家 佐藤洋二郎

さとう ようじろう 1949年、福岡県生まれ。中央大学卒。 1995年 「夏至祭」で第17回野間文藝新人賞を受賞。 「河口へ」「前へ、進め」「神名火」など。


 暮れも押し迫り大田に戻った。銀山街道を歩くという企画で、編集担当者の三代さん、カメラマンの古川さん、それに大田市役所に勤める同級生の品川君とまわった愉しい仕事だったが、締切に間に合せなければいけないものもあり、終わったらすぐに戻るつもりでいたが、同級生も集まるということになったのでもう一泊して飲むことになった。去年の後半は小説がろくに書けずずっと家にいて悶々としていたので、戻ってみたいという気持ちがあったし、行けばもう少しいたいなという思いがあった。

 わたしは小説が書けなくなると自分が少年時代を送った山陰に戻る。父親が早死にし母親の故郷に戻り、彼女の頑張りで兄弟三人が東京の大学に行けたし、なんとか人並みに暮らしていけるようになった。あの頃の不安で心がひりひりする感情を思い出したくてたまに帰る。そこに小説家としての根っ子がある気がしているし、それをどこまで掘り起こせるかと思っている。
 変わらぬ景色や風の匂い、忘れてしまった訛りを聞いていると心が和むと同時に、胸の奥底から熱いものが込み上げてくる。父親を失い絶えず小波のように押し寄せていた焦燥感がいまは懐かしい。その感情を知りたくて町を歩く。小説家になれたのは父親の死とあの風土のおかげだ。いい思い出はすぐに忘れるが、つらかったことや哀しかったことのほうがいい思い出になるということも知った。人間の生きていく心の痛みを作品に抽出したいと願っている。
 どういう生き方でもいい。どんな生活でもいい。自分の生を全うすればいいと思っているが、目蓋の裏側には忘れられない追憶と景色がある。里山を見る。川面を見る。変わらぬ町並みを見る。時間に堆積された思い出がゆっくりと薄皮を剥ぐように蘇ってくる。
 戻れば飲むようになった同級生たちももう若くはない。人生の本当の喜びも哀しみもわかるようになった。遠い昔を思い出すようになったのは、そこになにかを忘れてきたものがあるからだろうが、青春時代が決して明るいものではなく、むしろその逆だったということもわかっている。光の明るさは夜の闇によってわかる。人生は苦しみの中にこそ愉しみがあるとはいうまい。自我に目醒めていく苦しみが青春時代だともいうまい。酔えばいまが青春の途上だと錯覚を持つが、遠い昔が戻ってこないのは自分たちが一番知っている。
 酪農家、建築士、中年ライダーがいる。銀行員、技工士、会社経営者たちがいる。教師、市議、県議がいる。リアップの効用を説く者、中性脂肪を溶かす薬を勧める者がいる。たわいない話で笑いが広がるのは鮮やかに蘇ってくる思い出があるからだ。同級生の店で飲んだが、みな小さな土地に根をおろしている。わたしだけが明日の見えないやくざな職業に就いている。酔った頭の中で、明日という字は明るい日と書くのねと、昔はやった歌を思い出すしかない。
 なにがいいことでなにがわるいのか未だにわからない。急(せ)いても急がなくてもやがて死はやってくる。わたしには幸か不幸か、嘉村磯多が言うように「宗教によってよりも、芸術への思慕そのものによって救われたい」という信ずるものができ生きているが、この思いがどこまで届くのか。
 才能は忍耐だという言葉を頼りに無明の中生きているが、明かりはいつになったら見えてくるのか。「不遇でありたい。そして常に開運の願いを持ちたい」と上林暁は言ったが、それが小説家の宿命なのか。晴れる心も曇る心もわたしの中にはあるが、思い出でつなぐ者たちとの関係は明るくせつない。
 大きな娘がいるという女性が愛らしい声で「瀬戸の花嫁」を歌う。誰かが甘酸っぱい時代を呼び戻すように「高校三年生」や「美しい十代」を歌った。団塊の世代に属するわたしたちには明るい未来や美しい時代が残っているのか。思うように生きれない戸惑いと思うように生きようとする不安はどこまでも涜く。中年の彼らの笑顔を見ていると、生への向日性こそが人生を愉しくするのだと思えてくる。
 次の朝、三瓶山を通り朝靄の頓原、掛合、三刀屋を抜けて空港にむかった。晴れた冬空が目にしみた。遠くの日本海が目蓋の裏側に焼き付いた。木の上を旋回する冬の鳶が見えた。この景色を忘れてはいけないのだと肝に命じた。ほんなら、また帰ってこいや。見送ってくれた品川君の靴りが胸を刺した。わたしは昨日のことをふと思い出し、歳を重ねれば重ねるほどこどもになっていくような錯覚を持った。みんなにもよろしく言うとってごせや。わたしの口からおもわず忘れていた石見弁が飛び出した。そのことに気づくと急に耳朶がほてった。そして心にさまざまな風が吹くあの土地に感謝した。耳の奥で彼らの歌う明るい声が風に乗って聞こえた気がした。
2000.1.23山陰中央新報・羅針盤より転載)