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茂吉が探し求めた鴨山
大山隠岐国立公園・三瓶山のふもと島根県邑智郡邑智町湯抱は、歌人斎藤茂吉によって人麻呂終焉の地と定められた。「鴨山」を探し求めた茂吉は昭和12年、波多野虎雄青年の知らせで湯抱を訪れ、鴨山を発見した。鴨山を遠望する近くの丘には「人麻呂がつひの命ををはりたる鴨山をしもここと定めむ」と刻まれた茂吉の歌碑が立っている。
三瓶山西の原にはロマンと伝説を秘めた浮布地がある。ここにも人麻呂が詠んだ有名な歌が残る。「君がため浮沼(うきぬ)の池の菱摘むとわが染めし袖ぬれにけるかも」 真正面に女性的な稜線の親三瓶と子三瓶。ひっそりとした湖面を見つめていると、遠い万葉の昔、人麻呂が恋人と池のほとりで遊んだ光景がタイムスリップしてくる。
■梅原猛著「水底の歌」より
「斉藤茂吉の『鴨山考』が発表されて、誰よりも驚いたのは、地元石見の人々だったろう。
(中略)とにかく、何の伝承もない山村に、突然一人の男がおとずれて、ここで柿本人麿が死んだといったのである。普通の男のいうことなら、何をタワケタことをいうかと一笑に付すことが出来たであろうが、なにぶんそれを言い出したのは名声赫々たる歌人であり、その歌人はその説を著書にし、当代の学者、芸術家が異口同音に彼の卓説を激賞するにおいては、狐につままれたような気分であったにちがいない」・・・・・と批判している。
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